青森県の豊かな自然と恵み。 | 山田スイッチの『言い得て妙』 仕事と育児の荒波に、お母さんはもうどうやって原稿を書いてるのかわからなくなってきました。。。

青森県の豊かな自然と恵み。


このタイトルではどこのブログに来たのか
わからなくなるかも知れませんが、
青森いいとこ。一度はおいで。
今日は青森自慢です。

本日は兼業農家コラムニストの山田スイッチがお届けしています。



兼業農家といえるほど兼業農家でもないのですが、
自分ちで食べる米は、
一家六人が一年間食べていける分を田んぼで作っています。


米はいいです。田植えと稲刈りと脱穀と。
年間、三日くらいしか手間がかからないないみたいだから。
(田んぼの水の量とか調べなきゃいけないけど)



うちで作る米は普通の品種ですが、
あきれ返るほどうんまいです
美味しさの秘密は、自然乾燥米。



よく、田舎の田んぼにかかしのようなもの
たくさん立ってたりするでしょう?


自然乾燥させてる稲



そう、これこれ。
これは、刈り入れした稲を、天日で干しているんですね。

一つ一つ手作業で。めっちゃ手間がかかります。



普通、お米は精米所の乾燥機でガーッと乾燥させちゃうけど、
自然乾燥で一ヶ月かけて乾かしたお米は、
なんつーか、みずみずしさが全然違うんですね。



ケンさんと離れて三年間。
東京で暮らしていた頃は帰郷した時に食べる、
ケンさんのおばあちゃんのご飯が本当に美味しくて。
いつも涙が出そうでした。



森のイスキアにはまだ行ったことがないけども。
きっと、
イスキアに行ったら
こういう気持ちになるんだろうな……。


風邪をひいている間に佐藤初女さんの
『おむすびの祈り』を読んでいました。



一瞬一瞬を、大切に生きる初女さんの言葉には、
自分の求める真実を貫いて来た人の心が映し出され、
真っ直ぐに伸びた大きな木の幹に触れ、
下から見上げるような


聖なるものに魂を捧げるような
そんな気持ちになってしまいました。


初女さんは言います。



すべて、いのちあるものと接するときには、
私は精いっぱいの心をつかいたいと思っています。
それが人であれ、料理の素材であれ、同じことです。



ある時神父様から、「あなたにとって祈りとはなんですか?」と

訊ねられ、とっさに「私の場合は生活です」と答えました。

私は傍から見ていると、めったに座って祈らないといわれます。

でも、今ここに本当に食べられないでいる人、病んでいる人がいたときに、

いくら手をあわせて祈っても、思いはその人にすぐには伝わりません。


手をあわせて祈るのは「静の祈り」、同じことを心に抱きながら、

行動するのが「動の祈り」だと思います。

私は、この生きている瞬間瞬間が祈りだと思っています。

だから、お茶を入れて、おいしく一緒に飲みましょうというのも祈り。

私にとっては、生活すべてが祈りです。


佐藤初女著 集英社文庫 『おむすびの祈り』より


佐藤 初女
おむすびの祈り「森のイスキア」


本の中、初女さんの若かりし日に
写された、たった一枚の写真を見て泣きました。
ただ、嬉しくて。喜びに溢れた笑顔でだんなさんと写ってる。
そういう写真でした。



弘前は今、りんごが赤く色づいて。
可愛らしく待っています。


りんごの木